2020年3月22日礼拝

天地の造り主 

イザヤ書42章5~7節

 ・使徒信条に「天地の造り主」とあるように、神はこの世界のすべてを造られた方です。「天を創造し、これを延べ広げ、地とその産物を押し広げ、その上にいる民に息を与え、そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主はこう言われる。」(5)創世記の最初には、神が最初に光を造り、海と大空、海と陸地を分け、植物や生き物、太陽と月や星を造り、最後に人間を造られたことが語られています。美しい自然の中には、神の栄光がまるで鏡のように映し出されています。創造の最後に、最高傑作として造られたのが人間でした。神は私たち一人一人を造られました。人間だけが、神のかたちに、神に似せて造られました。神はいのちの息を吹き込むことによって、私たちに霊を与えてくださいました。霊があることによって、神を信じること、神の呼びかけに答えること、神に呼びかけることができるのです。 ・私たちは神によって造られました。けれども、人間はアダムとエバがそうであったように、神に背を向け、神抜きで、自分の欲とこの世の流れに従って生きる道を選びました。これが人間の罪です。その結果、神を見失い、罪と、人間を神から離す悪魔の力に縛られるようになりました。そして私たち人間の罪が原因となって、この世界は多くの問題を抱えるようになりました。

 

 

・けれども、神の愛は変わりませんでした。神がこの世界と私たち人間を特別に愛してくださることは、神が約束してくださったことです。そしてその約束の通りに、天の父は一番大切なひとり子をこの世界に送りました。それほどまでに、私たちとこの世界を愛しておられるからです。「『わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。」(6)主イエス・キリストは天の父のひとり子である神です。救い主イエス・キリストは「国々の光」として、神を見失った私たち人間がもう一度神を知るために来てくださいました。「こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。」(7)救い主キリストは罪の奴隷となってしまった私たち人間を自由にするために、私たちの身代わりに、私たちが受けるべき罰を受けて死なれました。しかも、イエスの十字架の死はそこで終わりではありませんでした。私たちがもう一度、神といっしょに生きていくために、イエスは死からよみがえられました。十字架で死なれ、死からよみがえられたイエスを私の救い主として信頼するなら、神はもう一度、神のいのちの息である聖霊を私たちの中に吹き込んでくださいます。そして神によって造られた本来の姿にもう一度変えられていくことができるのです。私たちは救い主イエスを通して、この世界を造られ、私たちを愛していてくださる神を知りました。だから一人一人には大切な役割があります。私たちを通して、ひとりでも多くの人が神を知ること。そして神とともに、神が造られたすばらしい世界をもう一度取り戻すこと。私たちひとりひとりも、「国々の光」となるために、愛され、救われ、ここから神が造られた世界に出て行くのです。