2020年7月19日礼拝

思い起こし、語り継ぐ 

ヨシュア記4章1~9節

 

思い起こすため ・ヨシュアとイスラエルの民は、ヨルダン川の流れがせき止められるという主の奇跡によって、ヨルダンの川底を歩いて約束の地に入りました。「あなたがたの神、主の箱の前、ヨルダン川の真ん中へ渡って行き、イスラエルの子らの部族の数に合わせて各自が石を一つ、その肩に担ぎなさい。それがあなたがたの中で、しるしとなるようにするためだ。」(56イスラエルの民に必要だったことは、主がしてくださったことを心に刻むことです。私たちは困難があるとき祈ります。けれども、困難が去るともう次のことを考え始めています。そしていつの間にか主から心がそれ、主を忘れてしまいます。必要なことは立ち止まること。イスラエルの民は石を見るたびに励ましを受けたことでしょう。立ち止まって主に思いを向けるとき、私たちは主からの励ましを受けることができます。週に一度の礼拝は、自分では立ち止まれない私たちが立ち止まることができるように、主が備えてくださった日です。私たちにとって、いつも思い起こす必要があるのはイエス・キリストの十字架と復活です。私たちは主の復活の朝、礼拝をささげ、主イエスご自身が定められた洗礼と聖餐を行います。礼拝をささげられるたびごとに、立ち止まり、主イエスの十字架と復活による救いの恵みを心に刻みます。そして私はどこから救われ、今どこにいて、これからどこに向かおうとしているのかを確かめることができるのです。

 

 

語り継ぐため ・「後になって、あなたがたの子どもたちが『この石はどういうものなのですか』と尋ねたとき、あなたがたは彼らにこう言いなさい。『ヨルダン川の水が主の契約の箱の前でせき止められたのだ。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせき止められた。この石はイスラエルの子らにとって永久に記念となるのだ。』」(67石を記念とするのは、子どもたちに、主がしてくださったことを伝えるためでもありました。子どもたちに神のことばとわざを伝えることは、イスラエルの民がエジプトを出たときから、大人たちの大事な役目でした。なぜなら、民が約束の地に入るのは、子どもたちに神の祝福を受け継いでいくためだからです。まず大人自身が、主がしてくださったことを心に刻みます。そして主がしてくださったことのすばらしさ、神のことばに従うことのすばらしさを子どもたちに伝えていくのです。これは主が家庭と教会に与えてくださった大切な役割です。私たちはイエス・キリストを通して選ばれ、救われました。それは私たちだけが救われるためではありません。私たちだけが祝福を受けるためでもありません。主から選ばれ、愛されている人として、与えられた祝福を受け継ぐためです。主が私にどんなにすばらしいことをしてくださったか。伝えるためには十分に味わう必要があります。主イエスの十字架と復活によって、罪ゆるされ、神の子どもとして、神によって造られた私たち本来の姿へともに造り変えられていくことができる。このすばらしさを味わいましょう。だから立ち止まり、思い起こし、励ましを受けるのです。そして神の民として主の祝福を受け継いでいくこと。これが私たちに与えられた使命です。