2022年12月11日礼拝

救い主の喜び  ゼパニヤ書3章14~17節

何からの救いなのか ・「娘シオンよ、喜び歌え。/イスラエルよ、喜び叫べ。/娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。」14)ゼパニヤ書は、全体を見ると決して喜びの書ではありません。むしろ、重苦しいさばきのことばに満ちています。ゼパニヤはバビロン捕囚の前、ヨシヤ王の時代に現れた預言者です(11)。さばきと滅亡の日が来る前に主に立ち返り、一度神と神のことばに戻るようにとゼパニヤは叫びます。やがてイスラエルの罪のゆえにエルサレムは滅ぼされます。けれども、さばきの日は救いの日でもありました。救い主が来られるからです。「主はあなたへのさばきを取り除き、/あなたの敵を追い払われた。/イスラエルの王、主は、/あなたのただ中におられる。/あなたはもう、わざわいを恐れることはない。」(15)その日、イスラエルを苦しめた敵はエルサレムから追い出され、エルサレムに回復の時が訪れます。 ・イエスが救い主であるとはどういうことでしょうか。私たちは孤独、貧しさ、病気や災い、生きる希望を失った状態から救われたいと思います。それは切実な願いです。けれどもイエスは孤独や貧しさや病のさらに根源にある罪と死から私たちを救う救い主です。

 

救い主を喜ぶのは ・私たちには罪があります。神に背き、自分を神とし、神を自分の中から追い出そうとする罪があります。神は罪をさばかれます。そして罪の力に私たちは自分の力では打ち勝つことができません。けれどもイエスは十字架の死と復活によってによって罪と死の力に打ち勝たれました。 ・ゼパニヤの時代のエルサレムにさばきが訪れたように、この世界の終わりにもさばきがあります。けれどもさばきの日は救いの日です。私たちは今その日を待ち望んでいます。 ・なぜ神は私たちを救ってくださるのでしょうか。主は私たちを喜んでくださるからです。「主はあなたのことを大いに喜び、/その愛によってあなたに安らぎを与え、/高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」(17)どんなにこの世界が罪で満ちても、それでも残りの民を主は残してくださって、愛し続けてくださっています。なぜ救い主はお生まれになったのか。主が私たちを愛し喜んでくださるからです。主が私を喜んでくださる。だから私たちも主を喜ぶのです。

 

 

恐れるな ・最後に心に留めたいのは「恐れるな」という主のメッセージです。「その日、エルサレムは次のように言われる。『シオンよ、恐れるな。気力を失うな。/あなたの神、主は、あなたのただ中にあって/救いの勇士だ。』 」(16-17)救い主が来られる。罪によってさまざまな壁と争いを生み出している私たちの中に救い主が来てくださる。そして争いや壁のもとになる罪の力に打ち勝って、私たちとこの世界に平和を与えてくださる。私たちはまだそのすべてをみてはいません。けれども必ず実現します。主がともにおられるからです。戦争と疫病と分断のたえないこの世界の中にも主はともにおられます。クリスマスは喜びへの招きです。まず神が私たちを喜んでくださる。だから喜びなさい、恐れずに主に信頼しなさいと主は今呼びかけておられるのです。