2023年1月8日礼拝

光を受けた者として   ルカの福音書8章16~18節

・私たちが今年目指すことは、「光が見えるように」(16)すること。キリストの十字架と復活の福音を言葉と生き方を通して世に示すことです。そのためには何が必要でしょうか。

終わりの日を意識する ・「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので知られないもの、明らかにされないものはありません。」(17)イエスが世に現れてくださったのは終わりの時が来たから。終わりの日が始まったからです。終わりの日に起こることは、それまで隠れていたものがあらわにされることです。「明かり」とはイエスが語られたみことばです。あらわにされるのはまず私たちの罪です。昔も今も、罪とはきまりを破ること、目に見える外側のことだと理解されがちです。けれども、イエスが語られたのは、私たちの内側の心の罪です。イエスは「罪を行っている人はみな、罪の奴隷です」(ヨハネ8:34)とはっきり言われました。私たちの心の根深いところに、神に背く罪があること。いくらよい行いを積み重ねても、罪の根本の部分が解決しなければ救いはないことをイエスははっきりと示されました。同時にイエスが明らかにされたのは罪の赦しのよい知らせです。イエス・キリストはただおひとりが罪のない方、私たちの罪を取り除くことができる方です。罪からの救いの道は旧約の時代にも、幕屋や神殿でささげられる動物の犠牲のささげものを通して少しずつ示されてはいました。けれどもその犠牲の意味がはっきり示されたのはイエスの十字架によってです。そして弟子たちはその主のみわざを見ることになります。 ・今はキリストの光が世界のすみずみにまで広がり続けている時代です。私たちは今すべてを見ているわけではありません。けれども終わりの日にはすべてが明らかになります。この世界にも、私たち一人一人の地上の生涯にも終わりはくる。そのときがくる前に、十字架と復活の福音を今年も宣べ伝えるのです。

 

みことばの聞き方 ・弟子たちはこれから神の子イエス・キリストを伝える人になります。それにはまず、みことばを弟子たち自身がどう聞くかが一番大事なことでした。「ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。」(18)<種まきのたとえ>(8:415)では、みことばの種が蒔かれる土地は、みことばを聞く心の心のことでした。よい地に蒔かれた種は豊かな実を結びます。よい地とはみことばを聞く心です。ですから「持っている人は…持たない人は…」とは、みことばを長い期間多く聞いていても、みことばを聞く心が変えられなければ意味がないということです。弟子たちの中にも古い生き方は残っていました。そのためにイエスの語られたことばを誤解し、十字架のメッセージは受け入れようとしませんでした。みことばが示すのは新しい生き方です。私たちの中には変わりたくない自分がいます。弟子たちが変えられたのはイエスの復活と聖霊が与えられたことによってでした。みことばを聞く私たちの心を造り変えるのは聖霊です。イエスはみことばを天の父の愛の語りかけとして聞き、天の父の愛のことばとして語られました。私たちもまたみことばを天の父の愛の語りかけとして聞き、天の父の愛のことばとして伝えることができるように聖霊によって造り変えていただきましょう。