2022220日礼拝

聖霊の証しとともに       ヨハネの福音書 1章29~34節

主を証しするのは聖霊 ・洗礼者ヨハネはイエス・キリストが救い主として人々の前に現れる準備をした預言者です。このときはちょうど、宗教指導者たちが人を遣わして<ヨハネとは何者なのか>と問いかけているところでした。ヨハネは自分自身の使命をはっきりと自覚していました。ヨハネはキリストを指し示す預言者です。「私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。私自身もこの方を知りませんでした。」31-32) ・ヨハネが人々に悔い改めを迫り、ヨルダン川で大勢の人にバプテスマを授けていたとき、イエスもヨハネからバプテスマを受けることを申し出ます。罪がないイエスは罪の悔い改めのしるしである洗礼を受ける必要がありません。にもかかわらず、イエスは罪人である私たちと同じようになるためにヨハネからバプテスマを受けられました。すると、「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。」(32)この出来事はヨハネの証しに確信を与える目に見えるしるしとなりました。 ・「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」30)神が人となられたのは世の罪を取り除くためです。私たちは罪人であるゆえに罪があります。この罪が神と人との間の壁となっています。私たちは自分の罪を取り除くことができません。旧約の時代、民の罪が取り除かれるためには、ささげものとして、多くの場合子羊が犠牲になりました。イエスは一度限りの完全なささげものとして、罪のないご自身のいのちをささげてくださいました。 ・「その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』」33)イエスの十字架と復活の恵みは、私たちを罪からきよめ、内側から造り変える恵みです。イエスの恵みは、聖霊によって私たち一人一人に注がれます。イエスこそが世の罪を取り除く神の子羊、救い主キリストです。ヨハネがそう知ることができたのは、イエスの親戚だったらではありません。聖霊がヨハネの内側で証ししてくださったからです。聖霊が証ししてくださるのでなければ、人は誰も神の子キリストを信じることはできません。

 

 

だから私たちも証しする ・ヨハネが神の子キリストを証しするのはヨハネを「遣わした方」33)がおられるからです。ことでした。キリストを証しするのは聖霊です。では人間はなにもしないのかといえば、そうではありません。神は聖霊とともに私たちを遣わす方です。私たちは聖霊の証しとともにキリストを証しするのです。聖霊が私の中で証ししてくださるから、私たちもキリストを証しできるようになるのです。証しするとは、立派な人になることではありません。聖霊が証ししてくださったように、神の子キリストであると伝えることです。「私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。」34)私たちはもまた、聖霊の導きにより、イエス・キリストに出会いました。私たちの生き方が人々にキリストを紹介することになったら、私たちを通してキリストに出会う方々が現れたらどんなにすばらしいでしょうか。ヨハネはそのように選ばれ、遣わされ、キリストを証しする生涯を走り抜きました。私たちもまたキリストを証しするために選ばれ、愛され、聖霊とともにここから遣わされていくのです。