2020年8月2日礼拝

主が進まれる道を通って     ヨシュア記4章10~24節

みことばに聞き従う人を通して ・イスラエルの民は主の奇跡によって、ヨルダン川の川底を歩いて神の約束の地カナンに入りました。モーセが「命じたとおり」に川の真ん中に立った祭司たちは、全員が渡り終えると川から上がります。「民全員が渡り終えた後、民が見ている前で主の箱と祭司たちが渡った。」(11祭司たちが担ぐ主の契約の箱には、十戒の板と、モーセが書き記した律法の巻物が納められています。つまり契約の箱は、主がイスラエルの民を神のことばによって導いてくださることを表しています。ここからひとつのことがわかります。主は神の民が神のことばに聞き従うときに働かれるということです。神は天と地を造られた全能の主です。けれども、主はあえて、人を用いてみわざをおこなわれます。神には限界はありませんが、人には限界と弱さがあります。けれども神はあえて、弱さも限界もある人を通して働かれるのです。神は神のことばに聞き従う人を通して働かれます。

 

主が戦われる ・これからカナンの地で待っているのは戦いです。それは神のことばに聞き従うという戦いです。イスラエルの民が神のことばに聞き従うなら、約束の場所でしあわせに暮らすことができ、世界の祝福の源となることができます。けれども、もし聞き従わないなら、約束の地から追い出され、祝福を失うことになります。先頭に立って戦われるのは主です。「このことは、あなたがたの神、主が葦の海になさったこと、すなわち、私たちが渡り終えるまで、私たちのためにその海を涸らしてくださったのと同じである。」(2340年前、葦の海がまっぷたつに分かれ、追いかけてきたエジプトの軍隊は海に飲み込まれたのは、主が民のために戦ってくださったからです。同じ主がヨルダン川をせき止めてくださった。それはこれからも主が民のために戦ってくださるということです。私たちにも毎日の生活の中でみことばに聞き従う戦いがあります。私たちのために戦われるのは、十字架と復活によって悪魔の力に勝利し、死の力に打ち勝たれた救い主イエス・キリストです。私たちは主とともに戦うのです。

 

 

奇跡の目的 ・「それは、地のあらゆる民が主の手が強いことを知るためであり、」(24ヨルダン川の奇跡の目的は、地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るためでした。イスラエルの民が奇跡を起こしたのではありません。けれども、彼らが神に従ってヨルダン川を渡らなければ、国々の民は主を知ることはありませんでした。私たちが救われたこともそうです。なぜ救われたのか。私たちを通して、世界の人々が主を知るためです。「あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」(24イスラエルの民にとっては、奇跡の目的は「主を恐れる」ことでした。神のことばに従うために必です。要なことは「主を恐れる」ことです。それは神を監視官のように考えておびえることではありません。神を信頼し、心から神をほめたたえるということです。私たちは日々の生活の中で神の守りや助けを経験します。それは私たちが神に信頼し、神をほめたたえるようになるためです。神に信頼し、神をほめたたえる歩みの中で、私たちは喜んで神のことばに従うことができるようになっていくのです。