2022年12月4日礼拝

神の民の回復  エズラ記10章6~44節

私たち一人一人も教会も力を失うことがあります。神の民は何によって回復するのでしょうか。

 

罪の赦しによって エズラ記で語られてきたことは<失われていたものの回復>です。まずは神殿です。バビロンによって破壊された神殿は主の助けによって建て直されました。さらに、失われていたのは神との正しい関係です。イスラエルの民の男たちは現地の異民族の女性たちと結びついていました。これは律法によって固く禁じられていたことです。 指導者たちはイスラエルの民の男たちに全員集合を命じます。命令は三日以内に集まらなかった者は民から追放されるという厳しいものでした。全員が神殿の前に集まると、エズラははっきりと彼らの罪を示します。「あなたがたは神の信頼を裏切った。(…)だから今、あなたがたの父祖の神、主に告白して、そのみむねにかなったことをしなさい。この地の民、異国人の女たちから離れなさい。」10-11)イスラエルの民が今するべきことは、自分の罪を神の前に告白し、罪から離れることです。それは痛みを伴うことですが、罪を言い表すことは後ろ向きなことではありません。神は罪に気づかせてくださる方、私たちが罪を言い表すとき、罪を赦してくださる方です。神の民の回復のために必要なのは罪の赦しです。

 

神のことばによって ・エズラが民に語るのは何か新しいことではなく、モーセの時代から神ご自身が語ってこられたことです。民は神のことばによって罪を示され、神のことばに従うことによって回復します。彼らははっきりと答えました。「必ずあなたの言われた通りにします」12)神のことばに対する神の民としての応答でした。「彼らはその妻を離縁すると誓い、自分たちの罪過のために、雄羊一匹を代償のささげ物として献げた。」19)この雄羊が指し示すのは罪過のためのささげものとなってくださったキリストです。キリストこそが生ける神のことば、「世の罪を取り除く神の子羊」です。 ・ひとりで聖書を読み、神のことばを聞く時間はとても大切です。同時に、神の民として集まって神のことばを聞くときも大切です。神の民はキリストによって集められ、ともに神のことばを聞き、ともに神のことばに応えることによって回復するのです。

 

 

ひとりひとりの生き方を通して ・約3ヶ月かけて調査が行われ、誰が現地の女性を妻としたのかが明らかにされます。その中には、祭司、レビ人、神殿の奉仕者もいました。あわせると110人ほど。全体からすればそれほど多くはないかもしれないかもしれません。けれどもエズラとイスラエルの民はこのことを重く受け止めました。これは小さなことではありませんでした。なぜならひとりの罪は神の民全体に影響するからです。反対に、ひとりの人が罪の赦しによって神との関係を回復するなら、その影響もまた神の民全体に及びます。 ・私たちひとりひとりがどう生きるかは教会全体に影響します。なぜなら私たちはキリストに結ばれたひとつのからだだからです。私たちはキリストのものです。キリストに結ばれて生きるところにこそ、神の民の回復があるのです。