2023年1月1日礼拝

光が見えるように   ルカの福音書8章16節

みことばの光 ・「明かりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする人はいません。燭台の上に置いて、入って来た人たちに光が見えるようにします。」2023年の年間のみことばです。明かりは器で隠したら消え、ベッドの下に置いたら暗くなってしまいます。イエスは弟子たちに、この明かりのたとえを種まきのたとえの流れの中で語っておられます。<種まきのたとえ>は多くの人に語られましたが、イエスは弟子たちだけにたとえの意味を解き明かされました。つまり、みことばの解き明かしによって、イエスは弟子たちの心に明かりを灯してくださったということです。イエスが語られたのはすべての人に受け入れられることばではありませんでした。心を閉ざす人はますますわからなくなっていきます。これは私たちが聖書を読み、みことばを聞くときも同じです。神はみことばの光で私たちの心を照らしてくださる方です。その光とは聖霊です。神が聖霊によって心を照らしてくださることによって、はじめてみことばがわかり、喜んで受け入れることができるようになるのです。今年も聖霊によって、みことばの光に照らされて歩む一年でありますように。

 

みことばを宣べ伝える ・イエスは弟子たちを選び、みことばの意味を弟子たちにだけ解き明かしてくださいました。弟子たちには特別な使命があるからです。私たちも一人一人みことばの光を与えられたものとして、神が聖書を通してなにを語っておられるのかを解き明かす使命があります。その中心はイエスの十字架と復活のよい知らせです。なぜ礼拝で聖書のことばが語られるのか。私たち自身が生きる力を得るためだけであるなら、みことばの光は私たちの中だけで輝いて終わりです。私たちにみことばの光が与えられているのは、「入ってきた人たちに光が見えるように」するため、つまり私たちをとおして、キリストというみことばの光がこの世界で見えるようになるためです。毎週の礼拝で、礼拝から始まる一週間の中で、私たちは生けるみことばであるキリストを宣べ伝えるために選ばれ、遣わされるのです。

 

 

みことばを実行する生き方 ・みことばは語られ聞かれるだけでなく、実行されるから意味があります。私たちがキリストの光をこの世界で輝かせるのはみことばを実行することを通してです。私たち以上に立派な生き方をしているように見える人はたくさんいます。けれども主はあえてわたしたちを選ばれました。みことばを実行する生き方によってキリストの光を輝かせるためです。それは一言で言うなら、イエスが愛されたように「互いに愛し合」(ヨハネ13:34-35)うことに尽きます。イエスが愛されたように互いに愛し合う私たちの生き方をを通して、ここに光がある、ここに愛がある、ここにイエスがおられることがこの世界で明らかになるのです。私たちの明かりは2000年前も今も同じイエス・キリスト、そしてこの方が語られる神のことばです。私たち一人ひとりにはキリストの光を輝かせることができる賜物が与えられています。一人一人がことばと生き方でキリストの光を輝かせるとき、私たちは世界を照らす光となるのです。